【教養01】西郷南洲翁遺訓 ~西郷隆盛/著 道添進/訳~

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再読推奨度(☆1:小~☆5:大)

☆☆☆☆☆

難易度(☆1:優しい~☆5:難しい)

☆☆

感想 

 43条からなる西郷隆盛の言葉は、人の上に立つ者の心構えが凝縮されている。眼の前にある課題にあてはめて、自分ならどうするか考える時、正しい道を指示してくれる言葉が並んでいる。購入して、定期的に読みたいと思わせてくれる良書です。

作中引用(感情が動いた文言等)

第一条 その任に耐えられるだけのすぐれた人物を選んで、任務に就けるべき

 これまでの貢献があったからといって、重要な役職につけるのは間違っている。正しい道を踏まえ、公平に心を配り、あくまでその任務にふさわしい資質を備えている人に担当させるべきだ。それこそが天意なのだ。

第二条 判断するための定まった方針が必要だ

 ものごとにはすべからく根幹となるものと、枝葉となるものに分かれる。ゆるぎない理念や行動規範という大きな幹が定まっていて初めて、枝葉となるべき現場での判断も適切にできる。

第三条 他の課題を優先させることはあり得ない

 政治の根本は、教育、軍備、そして農業の三つだ。もちろん国が発展していけば、見直しを計っていくべきだろう。いずれにしても、何かをなそうとする場合、もっとも大切なものを根幹に据え、そこから枝葉となる施策を導き出すこと。

第四条 「あんなに身を粉にして働くなんて、気の毒だ」と思われるくらいでなければ本当とはいえない

 万民の上に立つ者なら私利私欲を厳しく戒め、我が身を犠牲にしても民衆のために尽くして当たり前だ。そうして初めて世の中から評価されるだろう。

第五条 子孫のために美しい田んぼを買わない

 自分の子や子孫のためにと、私腹を肥やし財産を残そうなどとしてはいけない。蓄財をなすために、道義にもとることをしかねない。また、そこまでして子供に財産を残したとしても、結局は子供が自立心を培うことができなくなってしまうからだ。これは、西郷家の家訓でもある。

第六条 それぞれの器量に応じて、この小才を生かすべきだ

 世の中、ほどんどの人が小人だけれども、たとえ器量が小さくても、誰より得意なものを持っているはず。だからその才能をあまねく活かし、一人ひとりの持ち味を発揮させなくてはならない。

第七条 策略を用いたせいで、あとあと必ず困ったことになり、結局は失敗する

 策略で手に入れた勝利は見かけにすぎない。いずれ馬脚を現すだけでなく、もっと深刻な窮地に陥るだろう。急がば回れというように、信念に則った正しい道を歩むことが、着実で最も早く目標にたどり着くことができる。

第八条 むやみに外国の真似をするならば、日本の国としてのあり方そのものが損なわれ、国力は衰退してしまう

 維新を境に、西欧の科学技術はもちろん、、文化、思想まで、あらゆるものが大量に押し寄せるようになった。けれどもそれは西欧の猿真似であってはならない。継承し、もっと発展させるべき日本なれではの良さがある。そうして初めて本当の繁栄を手にすることができる。

第九条 徳を教え、よい方向へ国民を導くことこそ、政治の根本である

 人間にとってもっとも大切なものは道徳であり、モラルを醸成していくことが教育を司る政府にとって一番大切な役割だ。それは、西洋だろうが東洋だろうが、共通する真実である。

第十条 問題は、どうして電信や鉄道が必要なのか

 便利だから、優れているから、むやみに西欧の文物を導入すると、その利便性や先進性と引きかえに思わぬ不都合や、失うものがあるかもしれない。自分たちはどうありたいのか、そこをまずしっかり見据えて、本当に必要なものを取り入れるようにしたい。

第十一条 大部分の人は、何が文明で、何が野蛮なのか、少しもわかっていない

 西欧諸国の優れた科学技術や物質文明には、学ぶところが多い。けれども、植民地主義という非文明的な振る舞いから目を背けてはいけない。無批判な西洋礼賛は、思考停止に等しい。

第十二条 西洋の刑法では、もっぱら罪を再び犯さないことを根本の精神としている

 西欧諸国には進んでいる点もたくさんある。たとえば囚人をどう扱っているかについては、まさに文明国としてふさわしい考え方に基づいた制度が定着している。こういう点は日本も積極的に学び、取り入れたいものだ。

十三条 税金はなるべく軽くし、国民の暮らしを豊かにすること

 小賢しい小才をもった役人を登用し、重税をかけて一時的に財政を上向かせるなどもってのほかだ。人民の暮らし向きを無視した施策など、早晩生き詰まってしまう。そればかりか人々の心が荒んで嘘偽りに走り、いずれ国は破綻するだろう。

第十四条 どれだけの歳入があるかをしっかり把握し、その範囲内で歳出を計らなくてはいけない

 歳入以上の歳出をしない。これが国家財政を運営していくうえで、ただ一つの原則だ。予算を預かる者は、身を挺してこの原則を守り抜かなければならない。

第十五条 虚勢を張ってむやみやたらと兵力を増強するなど、愚策にすぎない

 規律ある財政は、軍備においても例外ではない。身の丈に不相応な軍隊を揃えるよりも、高い士気を持った少数精鋭で固め、平和裡に外交施策を推し進めるべきである。

第十六条 上に立つ者は節度を守り、道義を重んじ、そして恥を知る心を忘れてはならない

 道徳がなければ国を運営することはできない。もしも万人の上に立つ者が私利私欲に走るなら、国民もみんな同じ行動を取るだろう。この関係は、親子や兄弟の間でも同じだ。

第十七条 国が倒れようとも本望、というくらいの覚悟を持って臨むべきだ

 強いものには委縮し、言いなりになってしまいがちなのは、人も国も変わらない。信念を貫き、不当な圧力に屈しない姿勢こそ、力の差を乗り越えてなお対等な関係を築き、尊敬を集めることができる。

第十八条 時には「戦い」から目を背けてはいけない

 諸外国と交渉ごとを行う際、もめごとになるのを恐れるあまり、弱腰になってはならない。たとえ国が倒れようとも本望というくらいの毅然とした態度で望み、あくまで交渉によって対立を打開すべきである。

第十九条 自分は完全無欠だと思う人間には、だれも味方しない

 地位や名誉や成功は、おうおうにして孤独を連れてやってくる。逆の視点から見るなら、人は功成り名を遂げると、次第に人の意見や自分に対する忠告を素直に聞くことができなくなるのだ。厳しい意見や批判こそ、更なる成長の糧となる。

第二十条 政策や制度は、それらを運用する適任者があって初めて活きてくる

 ルールを活かすも殺すも人次第。仏作って魂入れずということわざがあるように、政策や制度はそれを施行する人の見識や熱意があってこそ、よりよい効果が導き出せる。

第二十一条 それは「敬天愛人」つまり、天を敬い、人を愛すという境地を目指すこと

 人の道とは、天地自然に備わっているものだ。学問を志す目的も「敬天愛人」でなければならない。そのためには身を修め、いつも自分自身に克つことに務めたい。ものごとをあと一歩のところで達成できないとすれば、敬天愛人から遠ざかり、自分本意となっておごりたかぶるからだ。くれぐれもその点を戒めてかかるべきだ。

第二十二条 日頃から自分に克つことを心がけ、修練を重ね続けなければならない

 私たちの取り巻く状況は刻一刻と変化する。眼の前の火の粉を払うように、場当たり的に対処していては、うまくいくはずのものも不首尾に終わってしまう。常日頃から自らを鍛錬していけば、どんなに事態が急変しようとも、適切に対処できるだろう。

第二十三条 どんな人も許し、受け入れられるくらうの度量と寛容さを自分の心に持つべきだ

 広く学問を修め、同時に身を修める。これら二つを両立させるよう努めること。そうすれば、どんな人も受け入れることができる。心の大きな人物になれるだろう。逆に、人に受け入れてもらわなければ生きていけないような、小人物になってはいけない。

第二十四条 自分を愛する心を持って他人を愛さなければならない

 天の道は自然の道理であり、万物にあまねく恩恵をもたらす。だから私たちは天を尊敬し、人として正しい振る舞いを心がけたい。そして、自分を愛する心をもって、他の人びとに接しなければならない。

第二十五条 人を相手にするのではなく、天を相手にする

 人の言動に一喜一憂せず、より高い視点で、人の上にある存在を相手にするよう心がけたい。そして、広く人間社会や時代の流れを俯瞰し、行動すること。もしも思い通りにものごとがはかどらない場合は、自分自身の誠意が足りなかったと認識すべきだ。

第二十六条 自分だけを愛し、甘やかすようなことをしてはならない

 自分を大切にすることは人として自然のことだ。けれども自己本意になると、思わぬ落とし穴にはまることになる。自らを省みることなく、おごりたかぶるようになるからだ。やがて安逸に流れ、身の破滅を招くだろう。

第二十七条 自分自身が「間違った」と気づけば、それでよい

 過ちを犯したら、素直に間違ったと気づけば、それでじゅうぶんだ。過ぎ去ったことにとらわれて、くよくよ悩む必要などない。それよりも、明日を見据え、正しい一歩を踏み出そう。

第二十八条 正しい道を歩み、道理に則った生き方は誰でもできる

 どんな人だろうと、正しく生きることはできる。それは心がけ次第なのだ。いにしえの聖人もみな、ごく普通の人間だった。ただ、彼らはよき「師」であり続け、正しい道を自ら実践し、人々を導こうとした。

第二十九条 突き詰めるなら、結果はどうなろうとよいのである

 ものごとは上手にできる人もいれば、不首尾な人もいる。また、うまくいくときもあれば、いかないときもある。だが、結果にこだわり過ぎてはいけない。大切なことは、どんな時も正しい道を歩むこと。それには上手も下手もない。そして、行く手に困難が待ち受けていようと、楽しむくらいの気持ちを持つことだ。

第三十条 命を惜しくはない、名誉もいらない。官位や肩書き、金も欲しくはない

 たとえ命の危険が迫ろうと、人として正しい道を実践する。どんなに富で釣ろうとしても動かないし、どんなに身分が高い者にもなびくことはない。このような手に負えそうもない人物でなければ、国の運命を分けるような困難を共にすることはできない。

第三十一条 周囲の評判など重要なことではない

 批評には素直に耳を傾けなければならないが、無責任な悪評や誉め言葉に惑わされてはいけない。何よりも自分が納得できるか。それをゆるぎない尺度に据え、信念に従っていけばよい。

第三十二条 道を志す者は、偉業を達成して人から褒めそやされたいとは決して思わない

 ひとかどの人物なら、他人が見ていないところで身を慎み、道を踏み外すことはない。世間をあっといわすようなことをねらって一時だけ良い気分に浸ろうとするのは、未熟な人間の振る舞いである。

第三十三条 万一の際どうすればよいのかについて心がけている人なら、決して動揺しない。

 大事に直面したとき、適切に対処できるかどうか。それは、平時の際の心構え次第である。つまり、人として正しい道を実践しようという気構えを養っているかどうかだ。相手や第三者からの視点で事態を捉える姿勢も、いざという際、抜かりのない対処を可能とする。

第三十四条 日常的に策略をめぐらしていたとしたら、いざ戦争という際に、策略がうまく機能しなくなる

  策略は、ここぞ!という場面で用いてこそ活きる。その効果が発揮できる最たるものは戦いだ。しかし平時に策略を用いていると、疑心暗鬼や強い恨みを買うことになり、いずれは手痛いしっぺ返しを食らうことになる。日常ごろ、策略とは無縁の生き方をするからこそ、戦いに痛いしっぺ返しを食らうことになる。常日ごろ、策略とは無縁の生き方をするからこそ、戦いにおける諸策も功を奏する。

第三十五条 そんなときも真心を持って接することに尽きる

 私利私欲のために策をめぐらし、うまく立ち回ったように見えても、眼力のある人にはお見通しだ。人と接する際は、真心を持って公平であるべきである。そうでないなら、英雄と呼ばれる人びとの心を掴むことはできない。

第三十六条 知識として蓄えるだけなら、他人が剣術の試合をするのを見ているのと同じだ

 歴史を紐解き、いにしえの聖賢たちについて学ぶのは良いことだ。だが、自分もそうありたいと志すことなく、単に知識だけを身につけているだけなら、学問を修めていないのと変わりはしない。それは剣を取らず、他人が試合をするのを傍観しているのと同じで、敵を前にして逃げるよりも卑怯なことである。

第三十八条 真心が深ければ、たとえその当時は、誰も知る人がいなかったとしても、いつか必ず、世間に知られる

 どんな時代にも人びとに感激を与えるたった一つのもの、それが真心だ。かりに今、誰からも評価されなかったとしても、落胆することはない。いつか必ず、その真心ある行為が日の目を見て、世代を超えて語り継がれてゆくことだろう。

第三十八条 機会を捉えることは、事をなす上で大切である

 好機は偶然出くわすものではなく、自ら招くべきものだ。常日頃、道理に則って準備を重ね、時勢を見極めたうえで行動しなければならない。このようにして手中に収めた成功こそ、真に価値がある。

第三十九条 才能を頼んで行う事業は、危なっかしくて見ていられない

 とかく今の人は、才能や知識さえあれば、どんな事業の思い通りにできると思い込んでいるふしがある。もちろんそうした資質も大事だ。けれども、人として「体」をなしているか、つまり誠意があって信用できる人物かどうかが同じくらい重要だ。せっかくの知識や才能を充分に活かすため、人格を磨かなくてはいけない。

第四十条 本当の君子というものは、いつもこんなふうに満ち足りて、爽快なもの

 あくせくしてばかりで人生を楽しむことのない日々を送っていては、君子のような、大きな見方や考え方はできない。犬を連れて野山に兎を追い、一日の終わりにさっぱりと汗を流すひととき。そのような満ち足りた瞬間が、やはり人間には必要なのだ。

第四十一条 適切に対処することができないなら、それはまるで木でこしらえた人形と同じだ

 どんなに聖人君主のような体裁を繕っても、いざという時、臨機応変に対処できなければ土偶の坊と変わらない。学問を修めるというのは、たんに知識を得るだけでは不十分なのだ。不測の事態に遭遇しても、問題の本質を捉えた解決策を適切に考え出せること。さらには、その先手を打って準備を整えておけることだ。

追加一条 思慮というものはおおよそ、普段何もないときに、座って心静かな状態を重ねておくべき

 問題に対処しようと策を練ってはみるものの、自分は何と考えが浅はかなのだろうと痛感する。これは、普段の人間なら当然のことで、そうそう良案は浮かぶものではない。深い思慮や適切な解決策は、何もない普通の時にじっくりと練っておくべきなのだ。

追加二条 人の営みはつまるところ、たいした差はない

 せっかく東洋の歴史や文化を学んできたのなら、その勉強を続けるべきだ。今日の国際情勢のゆくえも、課題に対する答えも、みなそこに記してある。なぜなら人がたどるべき正しい道とは天地自然のものであり、洋の東西や時代を問わず同じだからだ。

 

~まとめ~

  • この「遺訓」を手にして、西郷隆盛の高潔な精神と広い度量を少しでも我が身に感じる瞬間があれば、その人はすでに立派な指導者に違いない。